トウガラシとジャガイモをまもるはなし
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                     ていこく                        ふきゅう   こうけんしゃ                 きが麦類の不作による飢餓は、中世ヨーロッパの大問題でした。そんななか                        さいばいフランスにおけるジャガイモ栽培のふきゅう  こうけん               やくざいし普及に貢献したのが、農学者・薬剤師のアントワーヌ・パルマンティエで             あな  さす。彼は、ボタン穴に挿せるジャガイ                            けんモの花束を時の王様・ルイ16世に献じょう 上することを提案。そのアイデアが    そう功を奏し、以後マリー・アントワネッ        きふじん       かみ  むね  かざトなどの貴婦人たちも髪や胸に飾るなど大流行。ジャガイモの花はまさジャガイモの原産地・南米のアンデ  ちいきス地域で、15 世紀から16世紀に栄              ていこくえていたインカ帝国。その食生活を支えていたのが、「チューニョ」とい  かんそうう乾燥ジャガイモです。標高数千                          かんだんメートルのこの地では、昼夜の寒暖 さ                 とうけつ  かいとう差によりジャガイモが凍結と解凍を く繰り返します。そのジャガイモを足                            はで踏みつけて水分と有毒な成分を吐       かんそうき出し乾燥させたのが、「チュー  たかね            ひんじゃに高嶺の花となり、「貧者のパン」とよ                  さいばい  ふきゅう呼ばれたジャガイモの栽培は普及していきました。ニョ」です。高度な文明を築いてい       ていこくたインカ帝国だけに、現代でいうフリーズドライ食品を上手に活用していたのです。31ルイ 16 世がジャガイモ畑を訪問高度な文明を築いていた、インカ帝国。フランスのジャガイモ普及の貢献者、パルマンティエ。

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